石川農園よりトマトが届きました。
甘くて美味い。
それ以上の説明は不要ですな。
先日小川山で悲しい事故がありましたね。
重要なことは「おがわやまだより」と菊池敏之さんのページに書かれているので、僕のはただの個人的な感想です。
以下、乱文ご容赦ください。
事故発生当時からネットなどを通じて情報を収集していましたが、いろいろと気になってしまったことがあったので、批判を承知であえて書こうと思います。
僕自身3年前、2年前、そして今年の震災の時に極親しい仲間を事故で亡くし、遺された家族や仲間、そして自分自身の気持ちを振り返って感じたことでもあります。
今回の事故、発生当初からネットでその事実が交換されていました。
全てが全て、というわけではもちろんありませんが、一部では様々な憶測が飛び交っていたように思います。
被害者は亡くなったらしい、逆クリが原因じゃないか、ジムの普及が安全意識を下げている、とかとか。
そして中には事故直後の生々しい画像をネット上に掲載しているページもありました。
これは正しい情報なんですかね。
発信する必要のある情報なんですかね。
亡くなった方をどこまで知った上でなされている発言なんですかね。
これらを目にした家族や仲間はどんな気持ちになるんでしょうかね。
事故が起きてから被害に遭われた方が亡くなるまで約一週間の時間がありますが、その間関係者の皆さんはこうした無責任な発言に晒されるわけです。
僕自身極めて似通った経験を持っていますが、とても辛く厳しい時間です。
事故事例を共有するというのは事故を防ぐという意味では確かに重要です。
でもね、事故が発生したという事実以上のことは、関係者やガイド協会・JFAといった組織による報告なり分析なりを待ってから共有すればいいのではないですかね。
根拠の無い誤った情報を共有しても事故防止には役に立たないでしょう。
そのためこうした事故が起きた際に報告書があるのはとてもありがたいことと思います。
一方、こういう報告書は諸般の事情により出せないこともあります。
目撃者がいないため事故原因が不明、家族の意志、そんなとこです。
こういうこともあるので事故の報告や分析は当事者の義務であると考えてはいけないと思います。
また、詳細な報告書や事故への対応などが書かれているからといって、それを読んだから自分は絶対そうしたことをしないなどと思わないことです。
どんなに経験があってもふとした気持ちのふらつきや油断が結果として重大な事態に発展する。
それが事故なんだと思います。
クライマーとして事故事例を共有し、義務やルールを学ぶことを軽視しているわけではありませんが、こうした重大な事故においてもっと被害者や家族、仲間の尊厳やプライバシーに配慮があっていいものではないでしょうか。
これはクライマーとしての意識以前に人として持つべき思いやりや倫理観といったレベルのものです。
ネットが普及し、ブログからツイッターへとツールが進化し、個人が情報を発信し、収集するハードルが低くなりました。
このこと自体はいいことだと思っています。
実際昔よりもいろいろなところに行けるようになったし、やれることややりたいことも増えてきました。
ただ、言論の自由を享受するなら、発言の責任も負わなくてはいけないのではないのでしょうか。
多くの発言は善意や正義感、問題意識から発せられているのでしょう。
だから上記のような発言をしていた方の人間性を否定するとかそういうことではないのです。
僕自身人の批判ができるような立派な人間じゃありません。
ただね、ときにこうした善意や正義感が厄介なものになるってことはないでしょうか。
言わなくてもいいこともある。
この記事もそうしたことの一部であることは否定しません。